2010年08月24日

(3)小学生大会(低学年編1)

(1)はこちら
(2)はこちら
かなり間が空いてしまった(2は5/26)ので、上のリンク先もどうぞ。

(2)の最後に書いた小学生大会に出たのは小学1年生の頃。この大会は区の大会だったのですが、ここでの優勝を皮切りにデパートの大会へ出るようになりました。
東急デパートや松坂屋といった所だったと思います。
場所は定かではないですが、今プロとして活躍していた人で誰がいたかは結構覚えています。


同学年で低学年の頃からよく大会に出ていたのは西尾五段や藤倉四段といったところ。
西尾五段にはお兄さんもいて、こちらも超強豪。「西尾兄弟」と言われ、大会を総なめにしていました。
私も全く勝てず、低学年部門では大体西尾五段が優勝をさらっていきました。

少し歳が上だと、兄弟ではなく姉妹が有名でした。そう、中倉姉妹です。小学生時代の年齢差は大きな壁でもあり、二人にもやはり歯が立ちませんでした。そういえば当時から美人姉妹で有名でしたが、自分にとっては倒すべき相手だったので顔の印象がありません(笑)


冷静に振り返ると当時の自分は何級くらいだったのでしょう。1年生の時に初めて将棋会館道場に行って5級と認定され、4年生の時に初段だった(子供スクールを卒業した)ので、大体その間くらいだったのでしょう。
今の子供たちを見ていると、低学年で優勝を争うような子は確実に有段の力があるので、当時より今の方がレベルが高いと思います。


低学年時代には、将棋会館道場より、近所の将棋教室がメインでした。自宅から徒歩8分位の所でアマ強豪の方が週に1度自宅教室を開いており、そこに通っていました。お休みの週は泣いていたそうなので、よほど将棋が、そしてその教室が好きだったのでしょう。
ちなみにその方は現在も将棋を各地で教えていて、某棋士の息子さんが教え子だったりします。世の中狭いですね。


近所の将棋教室での話や子供スクールの話、3年生での松坂屋将棋大会で二歩を打った話は、長くなったので低学年編2でにします。


それではまた
posted by 遠山雄亮 at 13:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 足跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月26日

(2)初めての大会

(1)はこちらから

さて3歳の終わり頃に将棋を覚えた私は同じ本を繰り返し繰り返し読んでいたようです。興味を持つとのめりこむのは今も昔も一緒。20歳くらいからは分別が付いてきたように思います。長続きしているのは将棋だけですが、テニスも中学生の頃からだから結構長いですね。


最初の相手は当然自分の両親。とはいえ父親はやらないので母親と指していました。
一緒にルールを覚え、当初は勝てなかったもののすぐに負けないようになりました。これって本当、あらゆる場所で・人から聞いた話ですね。

大人の方は物事を理論的にとらえられるので、最初は子供より強いのでしょう。
ところが子供にはスポンジのようにドンドン知識を吸収出来る脳と膨大な時間があります。
それによって時が経つにつれ力関係が逆転してしまうようです。
勿論子供が興味を持ったと仮定しての話ですが。
ちなみに大人の方も日々の生活を投げ打って全て将棋に賭ければ、子供に負けないスピードで強くなれると思います。ですので将棋の強いお子さんをお持ちの親御さんはご安心を(笑)


あとは一人将棋をよくやってました。空想上の相手はやっぱり自分だったのでしょうか。よく覚えていませんが、負けそうになると盤をひっくり返してわざと勝ちを逃し、また負けそうになると…というのを繰り返していたような記憶があります。


小学生になった頃、区の子供将棋大会が開催される事を親に教わり参加する事に。
当時にしては珍しく(?)スイス式で行われたこの大会で望外の優勝。
その時もらったトロフィーはばかに大きく(バブルの時代だったからか笑)、今でも実家に飾ってあるようです。


そんな事で更に将棋好きに火が付き、将棋会館の道場に行くようになり、デパートの将棋大会にも参加するようになりました。という話はまた次回に。


それではまた
posted by 遠山雄亮 at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 足跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月17日

(1)将棋を始めた頃

今日から不定期で、生まれてから今に至るまでを少しずつ振り返っていこうと思います。
ブログ自体が自分の足跡なので、そこにブログを書く以前の事も刻んでしまおうという意図です。

基本的にネタの無い時のネタなので、長くゆっくり書いていこうと思います。今回は生まれてすぐの事。


1979年12月10日、東京都練馬区で生まれました。ググってみると、どうやら板谷進九段(故人。名古屋の将棋普及の礎を築いた大棋士。杉本七段の師匠。)と一緒の日のようです。
他では完全に1日違いで、スキーモーグルの上村愛子選手がいます。向こうは1979年12月9日生まれ。勝手に親近感を持っています。
ちなみに練馬区には生まれてから26歳までずっと住んでいました。

私自身記憶はありませんが、将棋を始めたのは3歳の終わり頃のようです。写真も残っていますし、なにより3歳の時に買ったという記述のある本が実家に残されています。

この本のタイトルが思い出せません。原田九段著だった事は間違いないのですが…また分かったら追記します。
【追記】『小学館入門百科シリーズ 将棋初段への道』(田辺忠幸・原田泰夫共著)という本のようです。コメントやTwitterで教えていただきました。ありがとうございます。

この本には、なんと羽生名人の小学生の頃の棋譜が出ています。原田九段相手に二枚落ちで惜敗した将棋でした。今でもなんとなく、急所の局面と小学生だった羽生名人の顔は覚えています。

まだ漢字が読める年齢ではないので、この本に親にルビを振ってもらい、本がバラバラになる位何度も何度も読んでいたようです。


と、こんな感じで記憶の糸をたぐりながら書いていきます。一年間くらいで現在までたどり着くつもりですが、どうなる事やら。


それではまた
posted by 遠山雄亮 at 09:43| Comment(3) | TrackBack(0) | 足跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする