接戦となった3局は、長いねじり合いの末、コンピュータの粘り強さに屈しました。
全体的に競った将棋が多かったですが、結果でみれば1勝4敗で、2回(+リベンジマッチ)で3勝7敗1持という結果はソフトの実力を表しています。
ここまでの結果を、ある程度実力を計る意味で順位戦のクラスで分けてみると
B級1組以上…1勝2敗
B級2組以下…2勝5敗1持
となり、谷川会長の「ソフトの実力はプロの中位以上」という言葉はしっくりきます。
ソフトの実力はすごいところに来ている、それがハッキリしました。
イベントとしては、トラブルもあって途中は不安も抱きましたが、第4・5局の視聴者数や世間の反応を見ると、将棋の世界を知らない人まで巻き込んだビッグイベントに育っているようです。
第2回に続き、「ファンに喜んでもらえるかどうか?」という観点では勝ったと思います。
プロ棋士vsコンピュータという構図は、最初の頃に比べて人々の感じ方が変わってきていると感じています。
コンピュータの強さが認められたことで、対決だけではなく対局者(開発者含む)の物語、そしてその周辺の諸々にも注目が集まっています。
プロが負けるのは驚くけど、今はコンピュータに勝てる分野なんてほとんど無いし、棋士の人生に興味があるし、電王手くん面白いね、という感じが生まれているかと。
そこで個人的には今までの形にとらわれず、今後は真剣勝負とエンタメをよりうまく共存させて楽しめるものを提供するのがいいと思います。
将棋ファン、ニコ生ファン、そして将棋を知らない人にも楽しんでもらえるよう、より高めていくことができるはずです。
コンピュータとの戦いにはどこかで区切りをつけるべきと主張する人も多くいます。
ソフトが「プロの中位以上」になった以上、プロのトップと戦っても勝つ可能性は十分あります。
人間側のトップが一度でも負ければ、チェスの歴史に則ると、将棋もコンピュータに越えられたということで決着、終わりになりそうです。
でも将棋界にとって決着をつけることに意味があるのでしょうか。
「共存共栄」を目指すなら無理に決着を付ける必要はないと思います。
将棋はもっと一般社会に出ていきたい、出ていくべきものです。
ここ最近、棋士がメディアに取り上げられる機会が増えています(怒り新党の豊川七段は最高でした!)。
いい波が来ていることは疑う余地がなく、その波に乗れるのか、将棋界としても勝負所です。
将棋というものが一般に広く知られ、より発展した日本文化となっていくことを私は強く望んでいます。
将棋を愛する全ての人(今まで応援いただいている全てのスポンサー含む)にとって、それは素晴らしい未来だと確信しています。
電王戦はその一助となりつつあります。今後はより人間とコンピュータが手を取り合い、「共存共栄」しながら素晴らしい未来へ向かいたいです。
最後に第3回電王戦エンディングPVを。
次のニコ生のビッグイベントは超会議です。私も出演します!
詳細はこちら
それではまた
プロとしてはそれを認めるべきではないですし、決着をつける意味もないことも理解した上で。
本当に将棋の今後を考える上でプロ棋士のそーいった公式の見解(実際は思うところもあるとは思いますが)と一般の見解の乖離はブログ上のコメントとはいえ、違和感があるのです。まさに水平線効果のように見えます、、。
森下九段が提案された内容はプロ棋士のプライドとか、そーいうところからさらに一段上の真の共存共栄の方策を示されている、煮え湯を飲むような提案であると思います。
いつかはコンピュータに負ける、それは徒競走で勝てないのと同じです。
その過渡期を楽しませて頂いていて、今回の電王戦も全局、最初から最後まで楽しく拝見させて頂きました、今後もどのような形であれ続けていただきたいと思っております。
(もちろん10年後には勝てるという考え方も否定する気はありません)
それを踏まえ、色々な方の考えは分かれるとは思うのですが。
島研において、将棋の真理を追究するために、先輩後輩だとかプライドだとか、を排除された気持ち、のようなものこそが、私個人の感想ですが、見るものの心を打ちます。
プロ将棋の美しさ、凄み、ということがそれによってなんら一般の将棋ファンには汚されるものではないのです。諸関係、スポンサー筋の問題はあると思いますが、ファンの気持ちをわかっていただきたいのです。
真理をコンピュータであれ、なんであれ、が示すのなら、よりすごい将棋が見たいのです。
みんなにソフトより棋士が弱いんだと認識させて何が得になるのか分かりません
企業が不祥事で話題になるようなもんだと思いますけど
あとそんなに棋士とソフトを戦わせることに意義を感じるならあなた自身が電王戦出るべきです
そしてソフトに「負けました」と言った時でも本当に将棋普及にプラスになるかどうかを考えてほしい
ダウンクロックして使用するコア数を1コアにすればよいのです。
次回の電王戦はプロ棋士が5勝して下さい。
人間とコンピュータで計算勝負しても勝てないのは誰でも分かる事ですよね。
皆それが分かっているからこそ、コンピュータソフト相手に人間が真剣勝負をしたことが、これだけの話題になったのだと思います。
そこから趣旨が外れた時に(遠山さんの言葉を借りるとエンタメ)どこまで楽しめるものを提供できるのか、私は非常に懐疑的です。
例えば以前行ったタッグマッチはあくまで第3回電王戦への繋ぎとしての位置づけであって、毎年タッグマッチだけをやって盛り上がるのかは別の話だと思います。
もちろんそれしか道がなければ皆で知恵を出し合って進むのが当然だとは思います。
私は人間が指してるから面白いと思っているので、羽生さんや渡辺さんがソフトに負けたとしても、電王トーナメントやfoodgateには興味がありません。
しかし、ソフトに「負けました」と言った時でも本当に将棋普及にプラスになるか?と問われれば、答えに窮してしまうのが正直なところです。
ただ一つ気になるのは、「共存共栄」と将棋連盟が言い出した際に一般の人に与える本当のメッセージは、「人間はソフトに勝てない」という事だという事です。
繰り返しになりますが、じゃあトップ棋士が負けるまでやればいいのか?と聞かれると答えに窮します。
電王戦は確かに将棋ファンを増やしていますよ。
今までは将棋好きと自称しても無反応だったのですが、去年からはいろいろ聞かれることも多くなりました。
将棋棋士のキャラクターにファンが付いていることも、メディアへの露出の増加ということに現れていると思います。
棋士がソフトに勝てなくなる未来は予想できますが、それでも戦う棋士に魅力を感じませんか?
と言われたら悔しくないですか?私はただの一ファンですが、そんなの絶対に嫌です。耐えられない。
ソフトに追い抜かれるのが必然だとすると、その瞬間は可能な限り潔いものであって欲しいと願ってます。
別に決着を付けたからといって、そこで終わりとも限りませんよ。
アルコールは、内臓は、もちろん、脳へは相当ダメージ残りますから、禁酒をお薦めします。下に落ちたら、せっかくの普及の熱意も生かせないのです。期待しています。
強い相手に挑んでいる姿に人は感動するのであり、その相手が人でもコンピュータでも関係ありません。
Pの今回のブログ記事もそうですが、対コンピュータに関する将棋連盟関係者からの発信には「なにくそ!」という勝利への執念が感じられず、いつも失望させられます。
負けている側が「決着をつけることの意味は?」とか「共存共栄」とか普通言いますかね?逆にかっこ悪いですよ。
将棋ファンがプロ棋士に何を望んでいるか、ちゃんと考えた方が良いと思います。
これを前提としても、「中位以上」は「しっくりきます」、かね? 恣意的な理屈に基づいて強弁しても失笑を受けるだけですよ。
それから、
電王戦を続けることに特に異論はありませんが、それは、きっちり、「トッププロ」との決着をつけた上でのことです。これはある意味、社会的責務です。
盤面上で人間が編み出した「新手」やら「新手筋」なぞよりも、トッププロの敗戦という「通過点の確定」の方が、より社会的な意義が大きいと考える人々は、卑小な利益を擁護しようとする将棋ファンよりもはるかに多く存在します(「通過点」は社会的インパクトの大小、つまりその「トッププロ」が誰であるかに、当然大きく依存します)。
また、今までさんざん、勝敗一つで上座だ下座だとか、上位者(=勝利者)が入室したときには腫れものを触るように席を開けるだとかいう棋力至上主義に従った振る舞いをしてきて、「ここだけは勘弁ね」という言い分はそもそも通りません。
「将棋をもっと一般社会に」という大義名分を掲げながら、「ぼくたちの『幻想』は守りたい」というのでは、その実体は「将棋連盟」の存続こそが最重要目的であることが見え見えで、俯瞰すれば、まるで駄々っ子の泣きごとのようだと評されても仕方ないでしょう。(まあ、そういうふうに物事をはっきりさせないことが「日本文化」だというのであれば、強いて反論するつもりもありません。激しく軽蔑はしますけどね(笑))
なお、棋士の人生やら物語にそんなに自信があるのであれば、上述した意味でのケリをきっちりとつけた上で、その人生やら物語やらを主体とした電王戦を開催し続ければいいではないですか。大丈夫、「通過点」を越えた後でも、勝ちを収めることができる棋士は登場し得ますよ。
あ、あと、それから「共存共栄」という甘い言葉に酔いしれるだけでなく、各棋戦での不正対策は真剣に検討した方がいいですね。
名人戦を見ても「COMの方が強いんだろうな」という想いが紛れ込みます。指すのが人間ではないとしても、タイトル戦よりレベルが高い将棋が存在するのは事実。もう「最高峰の戦い」とは呼べなくなってしまいましたね。
現在の棋士の保身のために、電王戦というイベントを無理やりでっち上げ、その結果としてタイトル戦の権威が失われてしまった。。。そう思うと、何だか切ないです。
ただ、COM将棋の面白さが分かってきたという点では、電王戦に感謝しています。
virtualboxを使い仮想PC環境にすればCPU、メモリの調整がしやすくなり楽しい将棋になると思います。
intelが毎年新製品を出すのでコンピュータの性能は毎年上がりますが、上がっただけ下げれば問題ありません。
コンピューターに詳しい人に聞けば性能は簡単に下げれます。
電王戦はソフトとプロ棋士のどちらが強いのかというテーマで始まったはずです。最終決着をつける前に、どうやらこのままいくと分が悪いので、路線をエンタメ方向に変えようというのは、あまりにも情けないと思います。そしてそれは羽生さんの大きな汚点にもなります。
たとえ羽生さんが負けたとしても、戦って潔く散ったという事実があれば、納得する将棋ファンは多いはずです。批判する人もいるでしょうが、長期的な視点で見れば、「将棋連盟は最終宣告されるのが怖くて逃げた」と未来永劫言われるよりもはるかにマシです。
真剣勝負とエンタメの共存は、最後の決着が着いた後に進む道です。最後の決着がついた後なら、ソフトとの共存は色々な可能性があると思いますし、今以上に電王戦が発展していくかもしれません。でも、ここで最終決着から逃げてしまっては、その汚点を永遠に世間は引きずり続けることでしょう。