渡辺二冠とは奨励会入会が1年違いで、年齢も5つ差で大きくみて同年代です。
向こうがプロになった三段リーグで私は初参加で、竜王に就いた時にもこちらは三段。
四段になってから研究会を始めて接点が出来、私に限らず渡辺二冠は「りゅうおう」と呼ばれていて「渡辺竜王」は強固なものでした。
今回竜王を失ったのは、心のざわめきが消せない出来事でした。
これからなんて呼べばいいのか、ということではなく(それもちょっとはあります)、大げさではなく歴史が動いたからです。
とはいえいつまでも同じ状態ということはありえないこと。そういう気持ちが強いからか、冷静に受け止めています。
竜王戦中継ブログには両者のインタビューも掲載されています。
その中で
―― 何か敗因とか考えられることはありますか。
渡辺 自分では普通にまずまず指せたと思うので。そうですね、力がないですね。
というやり取りがあり、驚きました。渡辺二冠をして力がないとは。
ただ最近の渡辺二冠は一段上を目指していて、それで苦しんでいるようにも見えます。
それが実った時、来年の今頃また全然違う歴史が作られているかもしれませんね。
来年1月からは王将戦七番勝負で渡辺王将と羽生挑戦者という対決があります。
続いていく世代対決、見逃せません。
それではまた
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私は、将棋ファン歴が長くはなく、「渡辺竜王」でない時代を知りません。ほとんど、渡辺ブログから将棋に入ったようなものですし。極端な話、「竜王まで含めて個人の名前」みたいな感覚でした。
「普通にまずまず指せた」というコメントがありますが。
逆に、「普通にしか指せなかったシリーズ」とも言えるような気がします。「竜王戦になると突然強くなる」みたいな言われ方をすることもあったわけで、渡辺さんの竜王戦での強さは普通じゃなかったと思うのです。今シリーズは、その「普通ではない強さ」をひねり出すことなく終わっちゃったな。漠然と、そんな感覚を持っています。
負けたことが話題になる。それ自体が渡辺さんの偉大さを証明しているのでしょうね。
失礼致しました。
‥ってことでしょうね。運や調子のせいにしない姿勢は全ての人間が見習うに値すると思います。
自分も勉強になりました。
歳もたった5つしか違わないのに何故そこまでの差があったのか、その理由の1つには『居飛車党』か『振り飛車党』か、というのも少なからずあるでしょう。
時が経つに連れ定跡の追究は進み、いつしか振り飛車は『勝ちにくい戦法』となってしまいました……。
ついには振り飛車党だった棋士が、居飛車党に転身してしまうということも…(最近では永瀬六段が顕著でしょうか)
しかし私は思います。
勝負の世界で食べていくということは必然的に高い勝率も求められるということでしょう。
それならば、勝ちにくくなった振り飛車なんぞはバッサリ切り捨てて、居飛車の研究に専念する、というのも至極当然と言えます。
もし全棋士がそういう考えに行き着いてしまった場合、将棋界は相居飛車一色という事態に陥ってしまいます……。
そうなってしまっては、きっと将棋ファンも激減してしまうことでしょう。
少なくとも振り飛車党の私はファンを辞めてしま
うでしょう……。
長くなりましたが、結局私は何が言いたいのかと言いますと、遠山先生にはそうなっては欲しくないということです。
杞憂かもしれないですが、もし先生が降級の危機などに陥っても、最後まで振り飛車党を貫いて欲しいのです。
常にアマチュア振り飛車党の憧れでいてほしい、そう私は思っています……。
長文失礼いたしました。
ワクワクしながら見守りたい気持ちです。
終盤のモニターでも、最後の受けがない状態になるまで指し続けていたのが印象的で、勝負の世界はかくも人間の美しさをみせてくれて、かつ残酷でもあるのだなぁと思いました。
しかしなお、次の勝負がすぐにやってくるのも将棋の世界ですし、また渡辺さんが名局を見せてくれることを1ファンとして期待してます。