2013年05月02日

電王戦総括 「将棋界は何と戦っていたのか」

「俺たちは、何と戦っているんだ?」
これは大好きな『相棒』の映画最新作の副題です。

電王戦が終わってから10日間、この戦いの本質というものをずっと考えていました。
人間とコンピューターの戦い、その戦いのみが本質とは思えません。
もっと本質的なものがあったから、記憶に残る素晴らしいイベントになったはず。
コンピューターではなければ、将棋界は何と戦っていたのでしょうか。


各対局者の終局直後の姿と言葉には、引き込まれるものがありました。
一生懸命戦う棋士の美しさを感じていただいたと思います。
この電王戦に刺激を受けた棋士関係者も多いでしょう。私も勿論その一人です。

この国の情報科学としては偉大な一歩。ponanzaの山本一成さんが言われていました。
互いに素晴らしい内容の将棋を指したからこそ、偉大な一歩が生まれたのでしょう。
将棋が社会の役に立つ、素晴らしいことです。

将棋なんかじゃなくてもっと他のことに使え。とあるテレビ番組で電王戦についてコメンテーターが心ないことを言っていました。
批判されたり誤解されたり、色々あります。
それは将棋が、そしてコンピューターがすごい強くなったことが幅広く知られた証です。


電王戦第5局PV(リンク先は完全版)の中で、故米長永世棋聖のこういうセリフがありました。
「ファンに喜んでもらえるかどうか?」
これを思い出したとき、戦いの本質が見えました。

今までの将棋ファンに、新しい将棋ファンに、喜んでもらえるのかという戦いだったのです。
喜んでもらうのは、自己満足に陥りやすいこと。人ひとりをちゃんと喜ばせるのだって大変。
だから戦いなのです。そして今回は勝ったはずです。
ドワンゴ社はじめ周りの支えが大きかったこと、そして将棋界が今まで培ってきたものが出せたことが勝因でした。

将棋界にとってこの戦いは永遠です。
時代の流れが早い現代では、勝敗はすぐに入れ替わってしまいます。
今は主に名人戦という舞台で、ファンに喜んでもらう戦いが行われています。

戦いを勝ち抜くために、将棋界も色々と模索をして、進化していかないといけません。
方向性の一つとして、コンピューターを将棋界としていい意味で積極的に取り入れたいです。
いいと思えば取り入れる。それは勝負で勝ち続けるものの常でしょう。
私はこの分野をもっともっと深く掘り下げていきたいです。


最後に電王戦エンディングPVを。
それも含め全ての動画がまとまっているページも紹介しておきます。
将棋電王戦チャンネル


「ファンに喜んでもらえるかどうか?」
それを常に問いかけながら、出場した対局者のように私も一生懸命やっていきます。


それではまた
posted by 遠山雄亮 at 07:54| Comment(13) | TrackBack(0) | 電王戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
棋士という孤高の存在の美しさ、コンピューターの可能性、
人間の叡智が示された素晴らしい対局でした。
船江五段、塚田九段の将棋に対する真摯な姿勢には特に感動しました。
”勝利”という言葉が本当に相応しい棋戦だったと思います。
Posted by 原 偉成(ああああ) at 2013年05月02日 12:53
遠山先生、お疲れ様です。
長い伝統に支えられほぼ独占業態に鎮座する連盟、
ベンチャーから成り上がった進取の精神に溢れるドワンゴ、
全く異なる背景を持つこの2者がうまくWin-Winの関係を保ち続けられることを
期待してやみません。
Posted by 下手の横歩好き at 2013年05月02日 13:37
いつも楽しみに拝見させていただいています。
また、モバイル含め、いろいろとファンのための環境整備ありがとうございます。
おそらくご認識の上で指摘されていないのだと思いますが、
ひとつ、気になったのでコメントさせていただきます。少し長いですがご容赦ください。

「ファンに喜んでもらう」のが目的で、それに「勝った」ということですが、
私は、その評価について、やや疑問があります。
「見ているファンのため」というのは、ある種当たり前で、人間対人間の対局でも同じ事でしょうし、
電王戦だけ特別な事ではないと思います。
では、将棋界にとって電王戦の特別な点は何か、というと、
それは、新規のファンを取り込む大きなチャンスだった事、と、
旧来のファンを失うリスクがあった事、だろうと思います。

そして、この観点から考えた場合、今回、将棋界は「負けた」と言うべきなのだろうと思います。
初めて将棋を見た人のうちどれほどが、人間が負けた今回の電王戦を見て、
人間対人間の対局も見てみようと思うでしょうか。
もちろんいるにはいるでしょうが、もし人間が勝っていた場合と比べれば、潜在的な損失は大きいでしょう。
また、元のファンも、人間ドラマだけでなく、「すごい」という部分を含めて楽しんでいたわけですから、
コンピューターの方がすごいんだ、コンピューターに聞けば「正解」がある話なのかもしれない、
などと思うだけで、冷めてしまった人も多いと思います。
(この点、将棋観戦記さんが少し詳しく書かれてましたのでリンク貼ります
http://blog.shogiwatch.com/blog-entry-2054.html

私がなんとか興味を持ち続けていられるのは、
序盤では人間の方が有利な場合がほとんどだったからです。
最終局はコンピューターの序中盤がすごかったので、ショックでしたが。。

勝負は仕方のない事ですし、建設的なコメントでなく恐縮ですが、
電王戦後、「コンピューターに勝てないのはある種当然」「人間ドラマこそが魅力」というような
意見が出てきていて、それはそれで納得なのですが、
若干言い訳めいたこれらの意見が全てではないと思うと見間違えるのではないか、と思う次第です。
ぜひ、面白いと思える「スポーツ」であり続けてほしいと思っています。
Posted by kay at 2013年05月02日 13:40
今の勢いでコンピューターが強くなっていくと、あと5年程度でトップと並ぶ実力となると
思われます。現状でもトップ棋士と互角かそれ以上ということが証明されました。
そうなると個人的な将来予想としまして、近い将来不正防止の観点から
@2日制のタイトル戦の廃止
A対局前の身体検査、持ち物検査 
の2点を考慮していかなければならないのではと考えます。
スポーツではドーピング検査は当たり前ですし、競馬でも八百長防止のため、ジョッキーは
レース前日の夜の面会禁止や携帯電話所持禁止などが義務付けられていると聞きます。
従来は人間の方がコンピューターよりも明らかに強かったですし、将棋は文化的な側面を
持っており、ある意味「そのようなことをする人はいない」という性善説を前提として
特に規則を設けていなかったのではないかと思いますが、今となっては真剣に考慮しなく
てはならなくなったのではと思います。
遠山先生はこのことについてどのようにお考えですか?
Posted by 一将棋ふぁん at 2013年05月02日 15:47
遠山先生いつも楽しく拝見させていただいております。

私は棋士ではありませんが、このイベントを楽しく見させていただきました。
多くのファンの方も結果はともあれ楽しんだことと思います。
そしてまた次回このイベントを開催して欲しいと思っていることでしょう。

先に別の棋士様のブログでも書かせていただきましたが、電王戦はお祭りと
捉えるべきではないでしょうか?
勝ち負けにこだわる必要性は一過性ですが、今後の将棋会の隆盛のためには努力が継続的に必要になります。そういう意味において、将棋界は自らの世界の維持発展のために「自分たちと戦っていた」(従来の視点を広げる意味で)と解釈しております。

来年も電王戦を開催していただきたく。
Posted by ジュダイ at 2013年05月02日 20:26
先日、米長先生の「われ敗れたり」を読みました。
目先の勝負にも全力で取り組んだ事がよくわかりましたが、やはり米長先生は大局観が非常に優れていたのだと思いました。
遠山先生たちが中心になって、さらに盛り上げていってください。
Posted by 金太狼 at 2013年05月02日 21:31
遠山編集長様


私は10年以上のプロ将棋ファンです。
将棋の魅力は深く、一言で言うのは難しいですが、私の場合は、羽生さんの「将棋には狂気の世界がある」発言なしには将棋にはまることはなかったと思います。
そんな世界があるのかと感動しましたし、それならばそこに集う天才たちの戦う姿を、ぜひとも見続けたいと思いました。
そうしているうちに、将棋が、茶道や柔道のような、日本の伝統的な文化、精神に根差していることも分かってきて、『将棋』という『遊び』をここまで高めるとはなあ、と半ば呆れるほどの感慨を得たりもしました。

実際に棋士の対局姿を見る機会は限られていますが、将棋世界のグラビアやNHK杯などで見る棋士の姿は、駒を指す所作から局面に苦悩する表情まで、全て本当に格好良く、また初めて駒音を聴いた時は、こんなにも美しく高貴に響くものかとしびれたものです。
棋力のかなり低い私が将棋に魅了されるのは、棋士の方々のこういう姿によるところも大なのですね。

さて、そんなふうに将棋の世界を楽しんできた私は、ここ数年の将棋連盟のコンピュータ将棋との係わり方に小さくない違和感を持っていました。
文化としての将棋とコンピュータ将棋とは、全く異質のもので、仮に将棋の真理をプロよりもコンピュータがより多く知っているとしても、コンピュータ将棋に魅力は感じません。いや、ある種の感慨は抱くでしょうが、しかしそれは将棋の本質とは違います。
将棋というゲームは、他のゲームもそうでしょうが、常に真理を求めながらも、悪手を指したり間違えたりすることも含めて面白いのです。まあ現段階ではコンピュータも間違えるようですが、いずれプロが理解できる範囲の間違いはしなくなるはずです。

私は、プロの対局にコンピュータが係わる状況は非常にグロテスクだと思っています。
例えば、タイトル戦の控室で、コンピュータの指摘する手が検討の中心になったり、あるいはプロの対局で、棋士がコンピュータに考えさせた手を指したり…。
これらを私は将棋文化の破壊と見ます。

したがって、ソフトの開発者の方々には、何故そんな余計なことをするのか、その優秀な頭脳をもっと他のことに使ってくれたらいいのに、と思っています。
しかし編集長様は、そのような意見を「心ない」と切って捨てていらっしゃいます。
ここまで私が書いてきた文脈でも、もっと他のことに使ってくれれば云々というのは「心ない」意見でしょうか?

また、誤解されたり、とも書かれてますが、具体的には何のことでしょうか?

私の素朴な疑問に、そもそも研究者の方々は何のためにソフトの開発をしているのか、というのがあります。
将棋文化を破壊してまでする開発に、それに見合った成果は何なのか、ということです。

私は、コンピュータ将棋側の人からも、将棋連盟からも、コンピュータ将棋が強くなることの意義を聞いたことがありません。
山本さんによれば、この国の情報科学としては偉大な一歩であり、編集長様も、将棋が社会の役に立つ、素晴らしいと大喜びされてますが、それは具体的には何なのでしょうか?(将棋ファンは、将棋が社会の役に立つから将棋が好きなわけではないと思いますし、そもそも文化というのは別にこの世に絶対必要なものではないものばかりではないでしょうか)

例えば、日本経済が上向くとか、ガンが治るとか、世界平和が実現するとか、将棋文化の破壊と引き換えなのですから、それぐらいの対価がないのであれば、将棋ファンとしては納得できないと感じますがいかがでしょうか。

また今回の電王戦の総括を、「ファンに喜んでもらえるかどうか」という薄っぺらいお題目でやってしまうのは、あまりにも対局して敗れた棋士の方々が浮かばれないと思いますが、これもいかがでしょうか。
ファンが喜ぶのであれば、棋士が一敗地にまみれてもかまわないのかと思ってしまいます。
少なくとも私は、プロ棋士が「自分は対局で勝つことしか考えてない、ファンサービスだの普及活動だの知ったことか」と明言したとしても、将棋ファンをやめることはありません。
ファンに媚びすぎではないでしょうか。

また今回の電王戦の催しは、確かに成功だったでしょう。
しかしそれは、下司な見世物として成功したのであって、斜陽の将棋界に新たな希望が生まれたわけではないでしょう。
戦った棋士の姿に感動を覚えるのだとしたら、それはライオンを放った闘技場に裸で放り込まれた棋士ならぬ戦士が放つ哀愁を見るときの感慨と同種のそれです。

人間は、どこかしら下司なものです。他人のスキャンダルや不幸話、下の話、等々が大好きなのです。今回のような異種格闘技戦は、人の耳目を引いて当然なのです。

しかしながら、人間そればかりではいかにも寂しい、もっと高い志を持たねばならないんじゃないか。
将棋界の伝統的精神、言い換えれば美意識は、まさにそういった下司なものと一線を画していると思っていたのですが。

ただ、正直良く分からなくなりました。
一人残らず全てのプロ棋士の方々が、遠山編集長様と同じ考えならば、私の憂いは杞憂にすぎないのですから。

いずれにしても、私は遠くない将来において消えて無くなっているはずなので、将棋界の行く末を見られず残念であります。

だからこそ色々書いてしまったのですが、遠山編集長様、どうぞいい将棋を指して下さいませ。そして理想の将棋界が実現しますようお祈り申し上げます。
Posted by 白石淳 at 2013年05月02日 23:27
遠山先生いつも楽しく拝見しています。

電王戦は私のような見る将棋ファンにとっては手に汗握る5週間でした。
またプロ棋士の勝負に対する真剣さや5人の棋士一人一人のことをよく知る良い機会になりました。
プロ棋士がいずれコンピュータに負けることは分かっていたことですし、むしろこの時期をとらえて電王戦を企画したのは将棋の普及にプラスになったと思っています。

一方で将棋の将来という観点からは上の人のコメントと類似した危惧をしています。
将来的にプロ棋士がコンピュータを研究に活用するということになったとして、コンピュータが出したある戦型の重要な局面についての斬新な新手を実戦で投入するというのはどうなのかという問題です。
やはり将棋の実戦ではそのようなレベルまでも人と人との勝負であるべきだと思っていますが、その点遠山先生はどのようにお考えでしょうか?
Posted by KN at 2013年05月03日 00:41
コンピュータ将棋は、人工知能の開発につながる研究の一環として、その具現化の一つの表現方法として行われているものと理解しています。
コンピュータ将棋が強くなることの意義は定かではありませんが、開発者の方々はそのもっとずーっと先に、我々人間の生活を豊かにしてくれる技術革新が存在することを想定して、自己学習機能をも持つソフトを開発しているものと考えます。
『人類に何の貢献もしない』『社会の役に立たない』『将棋なんかじゃなくもっと他のことに・・・』云々というのは、あまりに近視眼的な考えであると思いますがいかがでしょうか。
Posted by mag at 2013年05月03日 22:31
下の方のコメントを拝見して、書かずには居られませんでした。
文化で飯を食う為に、興業的成功は欠かせません。
コアな将棋の崇高さを理解するファンだけでやっていけるなら、その方々がきちんと
巨額の対価を払って支えるべきでは?
能や茶道などそういうシステムが出来上がっているんでしょう。
時代は凄いスピードで変わってます。
具体的に言うと、
車のコマーシャルは車種のアピールより免許を取りましょう、
旅行のパックではなくて旅に出ましょうとか、
人の価値観がものすごく変わってるわけです。
ある人にとっては、小さい頃必ず将棋をしていたという時代は終わったんですよ。
今の小さい子供はみんなゲームをしたがるんです。
そこを見ずに将来の文化としての価値なんて。。。
コンピューターに対戦してなくても、仮に全勝しても
滅びる文化は滅びるんですよ。
少子化がこのまま進めば、移民政策をとるかもしれません。その時に今のままの状態で
将棋が普及して行くのでしょうか?
ネットやコンピューターの力を借りて、世界や若い世代に普及させる必要は有りませんか?
気づいた時にやります?もう手遅れですよ。
そんな時はゲームに取って代わるものもきっと出てるでしょう。
電王戦の相手はコンピューターだったんでしょうか?文化としてのライバルであるゲームや囲碁やチェスでは?米長先生はそこを見てたのでは?

話戻ってCOMの将棋に対する関わり方ですが、
社会の役に立たないと決めつけるのは少々固いと思います。
具体的には近い将来、自動運転する車も出るでしょう、そう言った場合にもきっと役に立つと思いますが。
何に役立つかは今後の優秀な方が考えていかれるから大丈夫。

Posted by 右玉 at 2013年05月04日 20:12
「ファンが喜んで貰えるかどうか」が薄っぺらいですと?では将棋は何に対してアピールすれば良いでしょうか?
株主?買ってもらえるユーザーがいるのでしょうか?
「将棋という文化」という定義なら文化ですのでファンあってのものでは無いでしょうか?
それに取って代わるものが、世界平和やがんの治療や経済の上昇なら、私は将棋無くしても良いと思います。そんな巨大な対価を求められるなら。将棋ぽっちでそんなものが得られるなら。どれもコンピューター開発者が考えなくてはいけないものでしょうか?それこそ国民全体で考える事では無いですか?
将棋はコンピューターが入り込める文化として恵まれた環境だと思いますよ。コンピューターが入り込めないものも多数有りますので。
Posted by あ at 2013年05月05日 17:06
いろんな意見がありますが、私は上の方が具体的にあげている諸所の点については、電王戦を肯定的に捉える側にとっても、たんに楽天的に将来を概観したり、これから将棋の魅力を高め如何に集客できるかなどなどの興行的な側面について語るだけでは不十分な、まっとうに検討すべきポイントを含んでいるのは事実と思います。
それは過激な言葉を用いるならば上の方が言うように「文化の破壊」であり、より正確にいえばいままでの「将棋」を成り立たせていたいろいろの前提が、コンピューター将棋の到来によって覆される、ということであって、個人的には今回の電王戦でプロ棋士がまさに「全生命をかけて戦っているように見えた」理由は、そうした前提が覆されることに対する将棋に人生をささげたプロ棋士の抵抗心そのものゆえだったと考えます。もちろん、人によっては自動車と人が100メートル走を競うようなものだから、たとえ負けたとしても人間の尊厳や将棋そのものの魅力にはいくばくかの影響も与えないとする意見もあるのですが、それはいくつかの理由により不適なたとえだと考えます。
ともあれ、遠山さんがそれを「将棋界の将来に向けた戦い」だとあえて前向きに解釈しておられるのは無理もないことです。たとえ三浦さんや塚田さんの戦いの後の茫然自失とした、あるいは自身の魂をそのまま曝け出すような姿が、直接的には「将棋界の未来に向けたもの」ではありえないにしても、コンピューター将棋がプロと相並び超えるという趨勢はもはや不可逆のものであり、避けられないからです。であれば、その意味をもっと前向きに考えようというのは合理的なことです。
何のための将棋ソフトかということについていえば、そもそも技術や知識といったものは常に合目的に開発されたり、蓄積されたりするとは限りませんし、だいたい人間の将棋にしたって、たんに「おもしろいから」やっているんであって、技術者や研究者にしても常に何か崇高で大きな目的のために自身のいろいろな研究や開発を行っているわけではないでしょう。それが結果的に人の役に立つから「役立つ」と言えるのであって、コンピューター将棋の開発者にその具体的な成果物を求めるのは土台アンフェアのような気もします。コンピューター将棋の開発者は、自身の研究とか知識を用いることによって、単純に将棋というゲームにおいてどれだけ強い将棋ソフトを作れるか、もっというと、大会で優勝できるかという欲求を満たすためにソフトを作っているだけではないでしょうか。ですから彼らがたとえ「文化の破壊者」だとしても、それはどうすることもできない。何か穴があったらうめたくなるだけの話だし、仮に彼らがそうしなくても別の(日本人じゃないかもしれない)誰かが十年後ぐらいにやるだけだからです。
電王戦の結果が明らかになった今本当に語られるべきなのは、コンピューターの棋力が人と相並び超えるというもはや避けられない現実がもたらし得る様々な可能性のすべてについてであり、すべてが調和され共存共栄とともにあるバラ色の未来の話や、ネットやテクノロジーを用いて将棋という文化の魅力をいかに盛り上げていくかといった前向きな話だけではなく、上で具体的にあげられているような将棋という「伝統文化」の成り立ちを変えていくかもしれない負の側面についてもいまこそ真剣に語られるべきと信じます。
もちろん、プロ棋士にしてもファンにしても当然さまざまな意見があるでしょうし、もたらしうる負の側面についてまったく見過ごされているなどとは考えていません。そもそも利害当事者であるプロ棋士のブログでそういうやり取りを望むというのも無理筋な話とはいえます。ただ今回の電王戦の結果がいささか衝撃的過ぎた故か、多くの人があえて公に問題を語ろうとせず、すべてを前向きなベクトルのヴェールで穏やかに包もうとしていることに一人の将棋ファンとして怪訝にならざるをえないのも事実です。いいこともわるいこともちゃんととらえなければ、それは今回の電王戦の意味をきちんと総括できていることにはならないと思いますし、そうすることによってこそ新しい将棋界の姿も正しく見えてくるのではないでしょうか。
Posted by 電王戦について at 2013年05月06日 08:05
技術的意義と言えば、数千万年に1秒しか狂わない時計(原子時計)が開発された
という時も「何の意味があるのだ?もっと役立つことに…」
と批判していた近視眼的な人も当時はきっといたことでしょう。
現在ではこの時計のおかげでGPSが正しく機能しカーナビやスマホで位置情報を知ることが出来るわけです。
要素技術は「今日完成したから明日役に立つ」という類のものではありません。
数年、数十年後に別の技術が発見された時、コンピュータ将棋でノウハウを蓄えてきた
とあるアルゴリズムが思わぬ応用のされ方をして有用な何かができるようになる…
技術というのはそんな感じで発展していきます。長い目で見ましょう。
Posted by シーサー at 2013年05月09日 01:11

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。